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PROGRAM



第24回定期演奏会(99.1)のプログラムの歴史的意味
以下は、団内向けの文書です。団外の方が読んだ場合に表現が不適切な部分がありますが、ご了承ください。
富永順一(団員・フルート)
バッハ/ウェーベルン 6声のためのリチェルカーレ
マーラー 交響曲第九番

今回のプログラムは、いつも各パートの問題、集客の事情、技術的な問題、指揮者と楽団との希望のせめぎ合い等の事情でプログラムが決まる傾向が無きにしもあらずなグローバルとしては珍しく、明確にトータルなテーマを持ったプログラムです。つまり、前回のようなやや故事付け的な関係ではなく、この2曲にはより明らかな連関(それが表立ったものではないにしろ)があります。

以前書いたかもしれませんが、ソナタあるいはソナタ形式を中心とした古典派、ロマン派の音楽は、19世紀末、すなわちマーラーの時代になって大きく崩壊の兆しを示していきます。そもそもいわゆる古典派、ロマン派の器楽曲は、交響曲にしろピアノ・ソナタや室内楽にしろ、あるいは協奏曲であっても、その基本は長調と短調という調性に則った音楽であり、形式はソナタ形式を持った楽章を中心とし、それに3部形式(リート形式)、ロンド形式が組み合わさり、それにしばしば変奏曲が組み合わさってできています。

この基本的なフォーマットを固め発展させたのは言うまでもなくハイドンであり、そのハイドンの仕事を天才的な直感で理解し大きく飛翔させたのがモーツァルト、さらにあらゆる創意工夫を加えて大成させていったのはベートーヴェンというのはどの音楽史の本でも書かれていることです。ただし、ベートーヴェンの音楽自体はこの「ソナタ形式を中心とした調性音楽」を大きく発展させると共に、崩壊への道も用意していたのです。たとえば、彼の音楽は調性音楽でありながら不協和音が次第に多く使われるようになったこともその一つです。モーツァルトにも「不協和音」というニックネームのある弦楽四重奏曲がありますが、それは逆説的にその曲の中の一部に使われている不協和音が目立ってそんな名前がつくほどに他の部分は協和音なのであって、ベートーヴェン以後の音楽における不協和音、特に20世紀の音楽における不協和音の多さとは次元が異なります。

また、ベートーヴェンの場合は形式の上での崩壊の兆しも見せています。たとえば、交響曲第3番の1楽章は、異常に拡大されたソナタ形式で、その展開部は圧倒的な長さとありとあらゆる音楽展開の技法が詰め込まれています。こうした拡大されたソナタ形式は後のマーラーの長大な交響曲の拡大されたソナタ形式を準備するものと言えなくもありません。そして、交響曲第5番の1楽章のように(実はどの楽章も関連するが)ただ一つの例の運命の動機だけで音楽が成り立っていくような、極端に機能的な音楽の作り方、つまり歌うためではなく、音楽を構成するブロックとしての動機を積み上げたりこねくり回したりして音楽を作っていくやり方は、当然後のシェーンベルクの12音技法を予感させるものです。(ただし本当に「当然」かというのは議論の分かれるところ。別の発展の方法もあったはずで、何やら資本主義が行き詰まって「必然的に」社会主義に移行する、という今ではまったく死に絶えた「科学的」な説のようで気に入りませんが)

事実ソナタ形式に代表される音楽はその後確実に崩壊していくのです。シューベルトは音楽に歌謡性を持ち込んだが同時に音楽を長大なものにし、それはブルックナーやマーラーに受け継がれていきます。(もしシューベルトの「未完成」が4楽章の交響曲として完成していたらどれほど長い曲になるか想像してみよう。)ベルリオーズは表題性と独創的な管弦楽法のテクニックを持ち込み、古典的な均整の取れた形式を崩壊させていきました。シューマンはまさにロマン主義者として音楽と文学とが密接に関係していきます。これらもマーラーの音楽の表題性、文学性の先駈けと言えましょう。また、ベルリオーズの管弦楽法はワーグナーを経てマーラーに向かって一層の拡大をし、表現力を増大させていきました。その一方で音楽は、不協和音も頻繁に使われるようになり、また、親しみやすい歌えるメロディではなく、楽曲を構成するためのモティーフとして、音楽が断片化しその集積として音楽が作られるようになります。

調性についての研究は、フーゴー・リーマンという音楽学者によって「機能和声法」という形で集大成され、この理論によってすべての種類の転調が可能になり、また、ワーグナーは楽劇「トリスタン」で例のトリスタン和音によって無限に転調していく音楽の実例を示していきます。自身は古典主義者、ベートーヴェン=ブラームスの後継者を自称し、反ワーグナーの立場を取ったマックス・レーガーは実際は頻繁に転調を多用することで結果的に無調に近づいていきました(レーガーはリーマンの弟子なのだ)。転調法が極端に発達すると、それは次第に調性が曖昧になっていき、次第に無調になってしまうのです。これは、19世紀末から20世紀にかけての音楽の特徴的な傾向です。

そうした崩壊の終末地点に立つのが今回演奏するマーラーの第9番の交響曲です。めまぐるしく転調していく第3楽章のロンド、まさに世紀末的な告別の歌である第4楽章もすばらしいのですが、ここで最も重要になるのは第1楽章です。(譜例はこちら)この冒頭の部分ではこの楽章を形成する重要なモティーフが、バラバラに羅列されていきます。最初にチェロと4番ホルンが特徴的なリズムパターンを示し(第1、2小節)、それに続いてハープが低音で短3度、長2度でできたモティーフを(第3小節)、そして2番ホルンが4度−5度−4度の動機を告げます(第4小節)。そして、第5小節でヴィオラが6連符のトレモロを、そうして第7小節のアウフタクトから2nd ヴァイオリンで、下降2度の最も重要な動機を演奏しそこから音楽が発展していきます。

このように、主要な音楽動機が順番に羅列され、そしてその動機が楽章全体を支配していく、これはまさにシェーンベルクやウェーベルンの目指した音楽と共通するものです。

シェーンベルクは初期には調性音楽から次第に無調の音楽を書くようになっていきました。この初期の音楽が彼の室内交響曲第1番や大規模な管弦楽曲「ペレアスとメリザント」、弦楽四重奏曲第1番、第2番です。また、この頃がシェーンベルクが頻繁にマーラーの家に訪れていた時期です。ついでに言うとシェーンベルクは音楽はほとんど独学なのですが唯一個人的に作曲を習ったのは、作曲家ツェムリンスキーについて習ったのです。そして、このツェムリンスキーの弟子にアルマ・マリア・シンドラー、つまり後のマーラー夫人アルマがいた縁で、ツェムリンスキーとシェーンベルクはマーラーと親しく交際することになり、一種のサロンを形成したのです。ベルクとウェーベルンは 1904年にシェーンベルクに作曲の個人レッスンを受け始めていますから、当然この頃からシェーンベルクに伴われてマーラーとも面識があったはずです。マーラーが1908年12月にウィーンを後にしてニューヨークのメトロポリタン歌劇場の指揮者としてアメリカに渡りましたから、ウェーベルンとマーラーとの直接の面識はこの4年間に限られますが、マーラーがアメリカに発つ日にウィーンの西駅に彼を見送りに行ったメンバーの中にシェーンベルクとベルク、ウェーベルンも含まれています。

そして、さらに大作「グレの歌」(1911)を経て1912年に無調の傑作「月に憑かれたピエロ」を書きます。

しかし、シェーンベルクは単に無調なのではなく、おそらくベートーヴェンの第5番のように、ある一つの動機で曲全体を有機的に統一していこうという指向が強く、かと言って、調性に依存した音楽形式であるソナタ形式(第1主題は主調で第2主題は属調で...)は調性の崩壊と共に死んでしまった、そのために彼が編み出した手法が12音技法です。たまに無調音楽と12音音楽を混同している人がいますが、両者は別の概念です。調性が無い音楽が無調であって、それは調という規範になるシステムが存在しないために、何でもありの自由な音楽ではあるのですが、反面形式的にはどんどん崩壊して何がなんだか分からなくなってしまいます。それに対して調性とは異なるシステムでシステマチックな音楽を作ろうというのが12音技法です。

私も充分に理解している訳では無いのですが、シェーンベルクやウェーベルンの12音技法というのは、次のようなものです。1オクターブの中に存在する12の異なった音(すなわち半音階のすべての音)を、一つずつ取ってそれを音列とします。その音列を逆行形(音列の順番を逆順にしたもの)や反行形(音列の上行、下行の関係を逆にしたもの)、そして反行形の逆行形などを組み合わせて、組織的に音楽を作ることが12音技法です。つまり非常にシステマチックに音楽様々に変容して音楽を形成していきます。

この手法を強力に押し進めていったのが弟子のウェーベルンで、彼は音列だけでなく、音の強度、音の持続、音色までも組織化して、高度に完成された音楽を書きました。その特徴は無駄な音符が一つも無いように、極限まで音楽が切りつめられ、すべての音が前後の連関のもとに、その高さ、音色、強度、長さの意味合いが付けられているのです。こうした作曲姿勢ですから、当然ながら作品の数は極端に少なく、また一つの曲も非常に短く密度が濃いのが特徴です。

12音音楽はその後、特に第2次大戦後になって多くの作曲家や作曲家の卵達にひろがり「現代音楽=十二音音楽」という状況が長く続きましたが、はっきり言って成功したとは言えないのではないでしょうか。この「十二音技法」によって傑作を書くことができたのは、シェーンベルクとベルク、ウェーベルンの3人ぐらいで、せいぜい後は入れてもブーレーズぐらいではないかと私は思います。メシアンなんかは12音をさらに押し進めたトータル・セリー理論のもとになった理論を発表したにもかかわらず、彼自身はその理論で作曲した曲はごくわずかで、彼の名作と言われている曲は例によって鳥の声とガムランとの混淆です。結局、作曲家としての資質の問題で、上記の3人は作曲家としての資質がずば抜けていたため、「十二音技法を使っても傑作が書けた」のだと私は思います。事実、彼らのエピゴーネン(模倣者)達の音楽は、結局聴衆に受け入れられない、つまり音楽の生理にそぐわない音楽だったため、ほとんどの音楽が2度と演奏されていないのが現状です。その後の事はまた別の機会に書くこととして、現状はこうした統一的な理論の無い新たな多様性の時代が私達の住んでいる20世紀末です。

さて、ウェーベルンですが前述のように極端に切りつめられた組織的な音楽を書いた人なのですが、こうした高度に抽象的な彼の作品が売れるはずがありません。つまり作品で飯が食えないのです。そのため、自分達の作品を聴いてくれるための演奏会を自分で開かなければならないのです。しかも、自分達の最新の作品だけでは聴衆は来てくれません。そのためにシェーンベルクやベルクと共に、聴衆に分かりやすい音楽、例えばヨハン・シュトラウスのワルツの室内楽編曲などの演奏会を開いてお金を稼ぎ、自分達の新作にそうした曲を混ぜて聴衆を集めていたのです。(どこかのアマチュア・オケを彷彿とさせる涙ぐましい話だなあ)そうした編曲の一つに今回演奏する「ウェーベルン編曲バッハの6声のリチェルカーレ」があるのです。編曲と言ってもそこはこのウェーベルンの事ですからただの編曲ではありません。

だいたいもとになったJ.S.バッハの「6声のリチェルカーレ」自体がただ者ではありません。これはフリードリッヒ大王に捧げられた「音楽のささげもの」という曲集に入っていますが、この曲集自体マニアックの極致と言って良いでしょう。テーマはフリードリッヒ大王が作曲したことになっていますが、この半音階が頻出するテーマ自体がくせ者です。この「半音階が頻出する」という所自体、後に十二音音楽の革命者ウェーベルンが食指を動かす充分な理由と言えましょう。そして、対位法技法の極致にあったバッハが、このテーマでありとあらゆる対位法的なテクニックを盛り込んで、言わば対位法技法の見本帳のような曲集がこの「音楽の捧げもの」なのです。(この後、バッハは「フーガの技法」というさらに凄い曲集を書いている)。だいたい人間の耳が6つの声部を聞き分けられると思うこと自体がマニアックです。また、この6声のリチェルカーレは楽器指定がはっきりしません。おそらく2台のチェンバロないしクラヴィコードが念頭にあったのではないかと言われていますが、現代では弦楽6重奏で演奏されることが比較的多いです。おそらくバッハにとって何で演奏されても良いのであって、6つの声部の対位法的な構造自体が目的だったのかもしれません。

そしてウェーベルンは、バッハが6つの声部に分けたものを、さらにその一つの声部を細かいモティーフの断片に切り刻んでいきます。つまりバッハが水平に6つに切り分けたものをさらにウェーベルンは縦に細かく切り刻んでパズルを作っていくのです。何だか魚を3枚におろしてさらにミンチを作るような話ですが、そこはウェーベルンのことただ刻んだのではないのです。一つ一つのモティーフが極めて楽曲解析的に正しく、そして先ほど書いたように、ウェーベルンは音の高さだけでなく、音色や強弱も組織化して音楽を書いたと言いましたが、一つ一つのモティーフをそれぞれ別の楽器に当てはめて、つまり音色を変更して、しかも(楽譜を見るとわかりますが)その一つのモティーフにクレッシェンド、デクレッシェンド、リタルダンドと言った詳細な強弱記号、表情記号が付加されています。この時代バッハの音楽は、かなりエスプレッシーボに演奏されていたらしい(今日のような古楽全盛の時代とは違いますね)のですが、ただそれだけの理由でこの頻繁な表情記号が付加されたのではないのです。ウェーベルンはこうした音色、強弱、テンポもすべて組織化した編曲としたかったのでしょう。

この編曲が、当初の目的通り一般の聴衆に分かりやすかったかは、はなはだ疑問ですが、素晴らしい編曲であることに間違いはありません。そして、この冒頭のモティーフが分解されて点描的に提示され、次第に全体像が現れてくる部分、これは、まさにマーラーの交響曲第9番の冒頭と相通じる部分です。そこに直接ではないにしろ、彼らの個人的な関係から言っても何らかの影響関係があるとしても甚だしい間違いでは無いと思うし、事実、プログラムとして非常に連続的な雰囲気があります。

ここに今回のプログラム・ビルディングの明確なねらいがあるのです。




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